ヒント
「くそう、なぜ!」
その日、ハイネルはディスプレイに写る何度目かのアラートに拳を叩き付けた。
自分が設計したマシンが、自分のプログラムにはじかれる。
設計は完璧なはずなのに、冷静なはずなのに、すでに調整はし尽くし、何が悪いのかさえわからない。
自分の考えを、もう一人の自分がどこかであざ笑っているのか。
ハイネルは冷めた何度目かのコーヒーを煽るように口に含んだ。
「入るぜ〜。」
「・・何をしに来たグーデリアン。私は忙しいんだ。」
「んー、さっきから、なんかスタッフの空気がね〜?。どうしたよ、ハイネル。」
「プログラムの修正に忙しいんだ、後にしてくれ。」
グーデリアンのほうを顧みもせず、ハイネルはディスプレイと格闘している。
グーデリアンは軽く肩をすくめると近くのソファに腰を下ろし、足を組んだ。
「・・昼、食った?」
「・・・昼?・・いや。」
一日の缶詰仕事で、時間の感覚すらあいまいになっているらしい。
答える首筋からは透き通るように血の気が引いて見える。
「・・なるほどね。」
グーデリアンは立ち上がり、ポケットか何かを取り出し、ハイネルの後ろへ歩み寄った。
「多分ね、糖分足りてないんだよオマエ。ほら。」
目の前に出されたのは、深い金色のシガレットケースのようなもの。
その存在を目の端で確認し、ハイネルは不機嫌なため息をついた。
「・・HINT MINTなら持っている。」
デスクの浅い引き出しを開けると、そこには銀色にコバルトグリーンの同じケース。
グーデリアンはハイネルの背中におぶさるように長く太い手を伸ばし、それを手に取った。
厚い手の中には金と銀の色違いのヒントミント。
窓の外から、ブラインド越しにもれる光がケースに反射して鈍く輝く。
外はそろそろ夕日が落ちる頃かもしれない。
「・・ずーっと、飴玉はリコリス一辺倒かと思ってたけど、こんなんも食うのな。」
「人を何だと思っているのだお前は。」
「だって、アメリカとかセレブとか、嫌いじゃんハイネル。」
確かにアメリカの高級ホテルで出されていたという但し書き付きのそれは、日頃、「手癖の悪いメディアが作る
浅はかな流行などで価値観や思想の方向性まで決められてたまるか」と豪語するハイネルの趣味にはあまりにも程遠く。
しかし本人がどう思おうと、「フランツ・ハイネル」は血統といい、その業績といい、大部分の人間は
「雲の上の人物」と崇め奉る存在になってしまった。
たとえ、彼が高級なレストランのフルコースのディナーよりも、自宅で家族と囲む温かい一杯のスープという、
ささやかな幸せを好む人間であったとしてもだ。
「・・一度、スタッフがくれたんだ。シュティールに似ているんだと。」
「なるほどね。」
ハイネルの指が缶のカーブを愛おしそうにたどる。
確かに銀にコバルトの配色といい、金属の優美なカーブといい、シュティールを思わせる要素がある。
そして能書きは仰々しいが、中身は素朴で自然な甘さの堅実な菓子である。
気に入ったからこそ、一度きりでなく常備するまでになったのだろう。
これを送ったスタッフのセンスに、グーデリアンは少しばかりの嫉妬を覚えた。
蛇足ではあるが、もしここに二人に近しい人、例えばリサがいれば、「一見浮ついてるけど
実はまじめで素朴って、グーデリアンさんのことよね」と断言するであろうと、付け加えておく。
「でも銀、薬臭くてあんまりうまくないだろ。こっちの金、食べたことある?」
「いや。甘いものは苦手だ。」
金色のケースに刻印された「chocolate」の文字に細い眉が寄る。
そんな食べ物はとてもではないが、ハイネルが日頃好き好んで食べる類のものではない。
「ま、いいから味見。」
グーデリアンはケースをがらがらと振り、蓋をスライドして一粒取り出すと、自分の口にぽいっと放り込んだ。
そのまま、ハイネルの体を椅子ごと抱きこみ、唇を重ねた。
体温にあたためられた甘いココアの香りが周囲に広がる。
「な、YOU
NEED THIS MIINT・・・and ジャッキー・グーデリアーン。」
ミントが溶けるまでの、長い長いキスの後、思い切ってかっこよく決めたはずなのに、
大きく息をついたハイネルは一言、つぶやいた。
「・・甘い」
「って、オレ頑張ったのに、そういう返答、アリ?!なんだよジーザス!」
大げさに十字を切るグーデリアンに少し笑いかけ、ハイネルはまたディスプレイに戻ってしまった。
そして、また仕事の続きをする。誰に言うともない独り言をつぶやきながら。
「・・またエラーが出てしまった。」
細くなった後ろ姿に、グーデリアンが近づく。
「何回でも、やり直せばいいよ。」
画面から、少し赤い文字が消えた気がした。
「お前が来ると仕事が進まない・・」
「いいじゃん、人生はまだ長いんだし。」
大きな腕が後ろから回り、冷たい肩を抱きしめる。
肩のこわばりが少し解ける。
「・・お前がいると、頭の中が混乱する。」
「絶対、俺が現実に戻してやるから大丈夫。」
「・・信じるぞ」
「あぁ。」
ハイネルの肩からこわばりが消えたとき、画面の中から赤い文字が消えた。
――ALL CLEAR
「終わった・・」
「えっ、マジ?」
「あぁ。一応の区切りはついた。」
データをバックアップし、パソコンの電源を落とす。
「じゃあさ、今から飯食いにいこう!うまいシュラスコ見つけたんだ!」
「減量はどうした!それ以上太るとまた車体のバランスが・・!」
「あはは、ダイジョーブーー。」
「ダイジョーブ、ではない!コラ!!」
逃げるグーデリアンを追いかけ、ハイネルも廊下へ飛び出していく。
いつもの風景。それを見守るスタッフ達も、一様にほっとした表情になり、フロアに活気が戻る。
並みの人物では持て余すほどのエネルギーを持つ、太陽王グーデリアンと、
並みの人物では乗りこなせない、深く厳しいマシンを作る海王ハイネル。
彼らの無謀とも思える要求に、人並みならぬ努力と研鑽を積むスタッフ。
多くの奇跡が集まってここにある。
全ては、二人をワールドチャンプにするために。
後ほんの数ヶ月で、シュトロゼックプロジェクトが始動する。
それは伝説の始まりだった。
スペルは超適当です。そして今更ですがバレンタインですとか言っていいですか。
ブラウザのバックで(以下省略)・・