Time lag 
 
 「しまった・・」
ホテルの一室で、フランツ・ハイネルはつぶやいた。
たった今保存したファイルの更新時間はすでに2.5.22 02:14をさしている。
 一年に一度の大切な日は二時間も前に終わってしまった。
 こんな商売をしていればこの時期は必ずレース期間なのはわかっている。
 出張や会議、テストで決して一緒にすごせるというわけではない。
しかしだからこそ、きちんとパートナーとしてつきあう関係になってからは、
当日、つまりは24時間以内に必ず連絡をしようと、彼は密かに自分と取り決めをしていた。
それが今回、はじめて破られた。
朝からのマシン調整とそのデータ解析、はたまたメーデー関連の仕事にまで駆り出され、
今ようやく開放されたのは事実だ。しかしそれでは彼自身は納得できなかった。
いたたまれず、ハイネルは携帯電話を取り出し、メールを書き始めた。
が、途中でやめ、ぱたんと閉じてしまう。
それはなんだか、言い訳のように感じたから。
こぼしてしまったミルクも時も、もう器には戻れない。
割れた卵はたとえ王様の家来でも直せない。
・・しかし、こぼれてしまったのははたして時間だけなのだろうか。
ハイネルは、手の中の電話を見つめながら、自分の中の何かに語りかけた。
 
翌日、ハイネルは夜の開け切らぬうちに愛車を飛ばし、ファクトリーに戻った。 
 まだメンバーの集まらないファクトリー内はしんと静まり返り、時々解析機器のモーターの音だけが響く。
 ハイネルは、ひんやりとした空気の中にこつこつと足音を立て、自室の前にたどり着く。
 そこには金髪の大きな男が、ドアの前で小さくうずくまってポータブルゲームをしていた。
 
「・・何をしているグーデリアン。」 
 「よ、おかえり。オレ、この部屋のキー持ってないから待ってたんだ。」
 「レーサーが体を冷やしてどうする。」
「オマエこそ無理すんなよ。昨日忙しかったんだろ。メールありがとな。」
「え・・?」
ハイネルは思わずポケットの携帯電話を取り出し、開けた。
画面には昨日のメールは送りかけのまま保存されていた。
送ってはいないこのメールをなぜグーデリアンは知っているのか。
ハイネルはグーデリアンの顔をじっと見つめた。
 
立ち上がってそれを覗き込み、グーデリアンは顔に満面の笑みを浮かべる。
「あ、やっぱりオレに送ろうとしてくれてたんだ。よかったぁ。なかったらオレどうしようかと思ってた。」
思わずハイネルは、昨夜心にちくりと現れたトゲを思い出した。
出会って付き合い始めて数年。そろそろ、お互いに次のステップを考えるほうがいいのだろうか。
そのほうがお互いに傷つかないのならば・・
 
沈みかける思考に、頭上から明るい声がかかる。
「オレね、ハイネルいつも几帳面にメールくれてただろ。だから、正直、
今回なんかあったのかなと心配してたんだよ。よかったよ。」
顔を上げると、男臭く、優しくてたくましい笑顔が待っている。グーデリアンは続けた。
「実際、日なんかはどうでもいいんだよ。俺。毎年来るしみんな祝ってくれるしね。
でも、オマエが一生懸命、忙しい中、頑張ってメール送ってくれるってのが一番うれしい。
日付けなんか関係ないさ。ハイネルが送ってくれるってのが一番重要なんだから。」
同時に、ハイネルの肩に温かいものが置かれる。
レーサーであり、剣ても盾でもある厚く頼もしい手。
それにそっと手を添え、ハイネルはやっと自分の顔に微笑が浮かぶのを感じた。
「グーデリアン・・」
「ん?」
「おめでとう・・誕生日・・」
「うん。ありがとな・・」
二人して照れながらぽそぽそと祝福を返す。
いつものドンファンで理屈屋なかれらが決して他所では見せないやさしい時間。
 
「しっかしさぁ、オレほっといて昨日何してたのー?やっぱそこんとこ聞きたいんだよ俺―!!」
「あぁわかった。いずれにしても、ここは寒いだろう。紅茶を入れてやるから中へ入れ。」
ハイネルがドアにカードを差込み、静脈認証を開始する。音も無くドアがあく。
コツコツと音を立てながら入っていくハイネルを、グーデリアンがあわててゲーム機を持って駆け込んでいく。
「あ、オレハーブティー嫌だぜー。紅茶かコーヒーはミルク入れて、出来たらオレンジかベリージュース・・」
二人の後から ドアが閉まり、また通路に静寂が訪れる。
やがてスタッフが集まり、また喧騒が始まるのだろう。
そしてまた、二人の新しい時間もまた、今日から始まる。
 
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遅れてもなんかとかという一心で一時間ちょい書きです(大笑)
 
ブラウザのバックで(以下省略)・・